【発行枚数28枚の稀少品】イギリス,ジョージ5世クラウン金打貨

製品案内【イギリス】
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ジョージ5世(イギリス)のクラウン金打貨

イギリスのジョージ5世は、1910年5月から1936年1月まで、イギリスの国王でした。今回ご案内しますコインは、1935年に発行されました、在位25周年金貨です。

すなわち、ジョージ5世は、この金貨が発行された翌年初めに亡くなったということです。

発行枚数28枚(うち、一般販売は25枚)の希少品

【コインNo】 7974
【額面】クラウン金打貨
【製造年】1935年
【材質】金
【直径】38mm
【グレード】PF FDC
【NGC】4338478-002/63
【価格】14,500,000円(税込)

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このコインは、スラブ入りです。

スラブに入っていると、コインそのものの肌触りや重量感を体感できないというデメリットがあります。しかし、傷がつかないというメリットがあります。

イギリス ジョージ5世 クラウン金打貨【スラブ】

価格が14,500,000円(1,450万円)と、破格の値段がついています。プルーフの完全未使用品(PF FDC)とはいえ、なぜこれだけ高額になるのでしょうか。それは、発行された枚数が、わずか28枚(うち、一般販売は25枚)のためです。

イギリス王室のコインコレクターは、世界中に数多くいます。しかし、一般向け発行枚数は25枚のみで、現存数は不明です。

筋金入りのコインコレクターは、価格が高騰しても手放そうとしません。完全未使用品(FDC)というグレードも手伝って、これだけの価値になっています。

クラウン金打貨とは

なお、このコインは「クラウン金打貨」です。この名前は、聞き慣れないかもしれません。そこで、下の画像をご覧ください。同じくジョージ5世の「クラウン銀貨」です。

イギリス ジョージ5世 クラウン銀貨

今回ご案内している金貨と、デザインが全く同じだと分かります。元々、このデザインは銀貨用に作られました。その刻印を使って、金貨を製造しました。

そこで、「クラウン金打貨」という名前です。

金貨のデザイン

では、表のデザインを確認しましょう。ジョージ5世の横顔です。

ジョージ5世 クラウン銀貨の説明【表面】

右下、赤枠で囲っている部分にBMと書かれています。この絵をデザインした人(Bertram Mackennal)の名前です。彼はこのコインを見ることなく、1931年に亡くなっています。

コインの周りに書いてある文字は、以下の通りです。
GEORGIVS V. DG. BRITT: OMN: REX. FD. IND: IMP:

英語で”George the Fifth by the Grace of God King of all the Britains Defender of the Faith Emperor of India”すなわち、「神の恩寵により、大英帝国国王、インド皇帝にして信仰の守護者たるジョージ5世」という意味になります。

次に、裏を確認しましょう。

ジョージ5世 クラウン銀貨【裏面~セントジョージの竜退治】

イギリス王室コインにしばしば登場する、「セントジョージの竜退治」です。

しかし、この絵はアールデコ調で描かれており、歴代国王が使ってきた絵とは雰囲気が異なります。下は、ヴィクトリア女王の金貨です。従来、下の絵が使われてきました。

同じ題材ですが、絵のタッチが大幅に異なることが分かります。

ヴィクトリア女王の金貨【裏面~セントジョージの竜退治】

ただし、タッチが異なるというだけで、矢印部分には折れた矢が描いてありますし、主要部分がしっかり表現されています。右下の四角部分に、制作者の名前PM(Percy Metcalfe)があります。

ジョージ5世の時代のイギリス

ここで、ジョージ5世が君臨していた時代(1910年~1936年)のイギリスを概観しましょう。

ジョージ5世は、ハノーヴァー朝の国王です。1714年に、ドイツのハノーヴァー家から国王を迎え入れたことから、この名前が付きました。

ところが、ジョージ5世は、1917年にこの名前を変更してウィンザー朝にしました。現在の王室もウィンザー朝です。

名称変更の理由は、第一次世界大戦です。当時の主な勢力図を見ますと、以下の通りです。

【連合国】:イギリス/アメリカ/日本など

【同盟国】: ドイツ/オーストリア=ハンガリー/オスマン帝国など

イギリスとドイツは敵対して激しく戦いました。すると、王室がドイツ名を名乗るのは、国民感情として良くないものがあります。そこで、王宮があったウィンザー城の名前を使い、ウィンザー朝としました。

下図は、ウィンザー城の写真です(引用:Wikipedia)。

イギリス ウィンザー城

なお、イギリスは連合国として勝利の側にいましたが、世界の中心としての地位は、アメリカ合衆国に渡すこととなりました。

第一次世界大戦後は、植民地の独立機運が高まった時期でもあります。大英帝国の領土の変化を確認しましょう。

古代ギリシャの範囲(googleマップ版)

海外領土が減っている様子が分かります。国王として、難しい判断がいくつも必要だっただろうと想像できます。

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